2015年03月11日

3.11 震災から4年。

あの当時、私はシンガポールに住んでいましたので、
あの時の地震の揺れは体験していません。

現地時間13:46。

当時は日本の企業の社長さんをお相手に仕事をすることが多かったのですが、
その日も会議室で午後の打合せを始めるところでした。

鳴り響く携帯電話。

「何?地震?」

 

 

その瞬間、私のメールボックスは地震を報告するメールで一杯に。

日本に住む家族に電話してもつながりません。

保育園に子供を預けて会社にいた妹からはかなり取り乱しているメールが飛んできました。
普段ほとんど連絡を取り合わないので、大変なことが起こっているのだと感じました。

私達も状況が分からない中、ネットで始まった各TV局の特別番組や
Twitterを見ながら、家族や同僚、友人との連絡を一つ一つ付けていきました。

あの時、自分が非常事態に追い込まれていない分、
余裕があったのでシンガポール側から連絡をつないだりも。

それでも、仙台に住む親戚とは1週間連絡が付かず、不安な日々を過ごしました。

福島の原発事故が起こり、程なくしてImported from Japanの食料は
すべて拒絶され、現地の日本食レストランは敬遠されました。

 

シンガポール側は、政府、赤十字、救世軍とすぐに対応し始めました。

シンガポール在住の日本人たちも、何ができるか考えて行動しました。
地震の揺れを体験していないことは、在外邦人にとっては、トラウマです。
私達は、皆さんと同じ経験をしていない。それだけで引け目を感じる日々が続きました。

罪悪感と、やりきれない無力感。
きっと一生乗り越えられないし、呑みこめない気がします。

 

2週間後、父が亡くなり、東京に戻ると、電気が消えており、また度々起こる余震にびっくり。

シンガポールに戻る便が成田空港を夕暮れ時に飛び立つと、いつもは電気や車のライトなど
人の動きの見える関東平野の広い街並みが、とても暗かったです。

 

一年後、2012年3月11日に参加したイベントで、

「この震災のことで胸を痛めている、その人達はみんな被災者である」

被災して語り部をやっていらっしゃる方から言われた一言に救われました。

 

あれから4年。復興を支援するために何ができるのだろう?

支援をするために調べてその存在を知ったミュージックセキュリティーズ

NPO法人ピースウィンズ・ジャパンへの支援。

とても小さいことかもしれないけれど、
大好きだった東北のワカメを北浜わかめ組合 虹の会を通じて支援しています。
今年も無事にワカメが出荷される。本当にホッとします。

未だ解決の糸口が見えない原発問題。
勉強会などに参加して、私達の意識が変わればもう二度と原発事故は
繰り返させないことはできると感じても、既得権益にはかなわない現実。

あれだけのことを経験していても、どうして人間は学習しないんだろう?

これで、少しは日本にも寄付の文化が広がるかと期待したけれど、あれから4年経過し、継続的な寄付は集まりにくい。

とても虚しい。

 

それでも、日本の未来が安全で幸せになるように、行動していきましょう。
明るい未来の為に。

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